まーライオンこと、マチパー(11kagen_blog)です。
12月に入ると必ず思い出す「出来事」があります。
それは、私が支援者として入った精神障害者福祉の世界(今の職場)に、
利用者として同じ年に入った、当事者の方の「生きざま」と「死」です。
当事者「Aさん」との出会いと別れが、私を一人前の相談支援専門員に
育ててくれた…そう思えてなりません。
この記事では、そんな私とAさんとの「思い出」と、
Aさんから「お前、これからもしっかりやれよ」というエールについて
書かれています。
この記事を読み終えることで、私も師走の忙しい時期だからこそ、今の仕事に
真摯に取り組まなければという思いに駆られます。
今日から12 月。
今の職場に入って来月で14 年に
なります。相談支援専門員になって8年半。
人の死に直面することもでてきました。警察とのやりとり
死後の手続き
部屋の片付け など人に関わる仕事の醍醐味が相談支援
にはある。— @マチパー (@11kagen_blog) December 1, 2019
私の唯一の「同期」であり「同志」であるAさん
相談支援専門員と言えば、介護保険のケアマネジャーのように、当事者の方の
自宅訪問をして、福祉サービスが適切に利用されているのか、今後どんな生活を
送りたいか、雑談を交えながら聞き取りをします。
Aさんは私と同じ年に今の施設に来た、立場は違えど「同期」のような存在でした。
Aさん(50代後半)は北海道で生まれ、幼少時に炭鉱が閉鎖したため
今の場所に家族4人で移り住みました。
若い時に発病、家族に対する暴力がきっかけでご家族と縁遠くなり、
いつもお金に困っている人でした。
私がよく
と話をしていましたが、
と話していました。
Aさんの妹が10数年ぶりに訪ねてくる
ある日、Aさんのお母様が亡くなったからと、唯一の肉親である妹さんが
Aさんの元を訪れました。
そこで初めて2人でお母さんをしのび、Aさんは妹さんと和解をされました。
その後のAさんは、本当に妹さんとの交流を、心から楽しんでおられました。
毎月のように行き来をし
と、うれしそうに話してくれました。
しかし、精神的距離が近かったのでしょう。交流を始めて1年後、妹さんから
「しばらく来ないで欲しい」
と言われ落ち込んでいるAさんがいました。
相談支援専門員としてAさんに関わる中で
Aさんは気分の変動により、年1回、長期に施設を休むことがありました。
大体この寒い時期だったんですが、私は相談支援専門員としてAさんの家を
訪問していました。
いつもは身なりをきちんと整え、毎日新聞を持ってきて施設で読んでいたAさん。
ですが鬱状態になると、外に出るのも億劫になり、ヒゲも伸び身なりもジャージでした。
何回もチャイムを鳴らし、安否確認する私にいつも根負けして出てきては
と言い放つものの、玄関先で話したあと、帰る時には
と、ポツリとつぶやいていました。
それでも、新聞だけはいつも取り込んで、読んだ形跡がありました。
今から4年前、12月中旬の出来事
先月からずっと来れない状態が続いていたAさん。金曜日の夕方、自宅訪問しました。
ただ「その日」だけはいつもと様子が違っていました。
こまめに電気を消しているAさん家の電気がついている。
そして新聞も取り込まれていませんでした。
うつの時はよほど出かけることがないAさん。
なんとなく胸騒ぎがして、玄関だけでなく新聞受けやベランダからも覗いてみたのですが
特に反応がない…
気になりながらもAさん家をあとにしました。
翌週月曜日の出来事
市役所から朝一に、私宛に電話がありました。
この時点で、すでにAさんはこの世にいない…そう確信し、言いました。
近所からの通報と言うことで市役所の職員も一緒に来てくれました。
そして妹さん、市役所職員、私の3人で中に入ると、すでにこと切れたAさんの姿が
ありました。
寒い時期になると、ヒートショック
始め、脳梗塞や心疾患などの発症が
増える。そういうのは高齢者に多いからと
油断してはいけない。結構40代でも50代でもある。
救急搬送の現場見てるとそう感じる。なんだかんだ1年に何回かは、警察
病院のお世話になるなあ私も気をつけたいな
— @マチパー (@11kagen_blog) December 1, 2019
Aさんが普段から心配していたこと
よくAさんは言っていました。
とも話していました。
他に私に話していたことは
…そしてその日が来てしまいました。
このリストは、退院したら再読する。今回は意識があっての予定通りの入院だからいいけれど。
両親のぶんも、作ろう…。 https://t.co/QTcDLTZ9Ax— 香桑 (@AilesLibres) November 17, 2019
唯一の「同期」として「相談支援専門員」としてAさんのその後に関わる
唯一の肉親であった妹さんは腰を抜かし、私がその介抱をする中、
市役所の職員が消防を呼んでくれ、第一発見者として私達3人は警察の事情聴取で、
数時間拘束されました。
解放された後、唯一の妹さんが一人では不安だと言うので病院に付き添い、
霊安室でAさんと対面。
葬儀屋の手配は私と、市役所の職員で行うことにしました。
翌日になると妹さんは気丈にされ、
葬儀屋の計らいにより、簡単なお別れの会をすることができました。
その翌日、近所の方も葬儀屋に訪れ最後のお別れをし、
火葬場で妹さんと、妹さんのお友達、施設の理事長と私の4人で骨上げし、お骨は
妹さんが持ち帰りました。
Aさんが住んでいた県営住宅の荷物撤去には、リサイクル業者をしている近所の
オジサンの指示のもと、
近所の有志と妹さん、その友達、市役所の職員と私で撤去しました。
妹さんから「Aさんが生活保護を受けなかった」理由が判明
Aさんが亡くなって数か月後、妹さんがあいさつに来た時に
「俺は生活保護にはならない」と言った理由が分かりました。
相談支援専門員として1人前になれるのはいつ?
年齢を重ねると「将来どうなるのか」「自分が死んだあとどうなるのか」誰でも
心配になります。
特に家族と疎遠だったり、病気や障害を抱えたりしたら、その気持ちは人一番
大きくなるでしょう。
Aさんの出来事がきっかけで、翌年私は成年後見人の資格を取りました。
Aさんはきっとこう答えるはずです。すこし照れながら…
12月…慌ただしい中でも、毎年この時期になると「初心」を思い出させてくれます。
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